ある日のスーパーにて

――違和感は、日常に転がっている

ある日、いつものようにスーパーを歩いていました。

特別な日でもなく、
特別な買い物があったわけでもありません。

ただ、
野菜売り場を抜け、
加工食品の棚の前に立った瞬間、
いつもの“あれ”が発動しました。

「……ん?」

この「ん?」が、
私の人生のほとんどを作っています。

パッケージは、
・健康そう
・やさしそう
・ナチュラルそう

でも、裏をひっくり返すと――

原材料表示が、
やたらと長い。

しかも
スラッシュの後ろに、ずらっと並ぶ見慣れない文字たち。

私はここで、
ほぼ条件反射で思います。

「これ、ほんとに“やさしい”かな?」

子どものころからそうでした。

みんなが
「美味しそう!」
「安い!」
で選ぶ中、

私は
「その後、体に何が起きるんだろう?」
と考えてしまう。

たぶん、
気づかなくていいことまで、
気づいてしまう性分です。

最近は、
「国内製造」という文字も
一瞬で信用しなくなりました。

国内で作っただけで、
原材料はどこから来ているのか。

そこに、
何が足されているのか。

表示は、
年々わかりにくく、
でも“それっぽく”進化しています。

ここでよく言われます。

「そんなに気にしてたら、何も食べられないでしょ?」

はい。
たしかに。

でも私は思うのです。

気にしすぎて何も食べられないより、
何も考えずに選び続ける方が、
ちょっと怖い。

私は、
完璧な暮らしをしたいわけではありません。

ただ、

・なぜそれを選ぶのか
・選んだ後、何が残るのか

ここだけは、
自分で知っておきたい。

スーパーは、
実は「違和感の博覧会」です。

気づく人には、
毎日が発見だらけ。

気づかない人には、
いつも通りの日常。

どちらが正しい、ではありません。

ただ私は、
気づいてしまう側だった
それだけです。

ちなみにこの日も、
私は結局、

「知っている材料だけで作られているもの」と
「旬の野菜」を選び、

レジへ向かいました。

派手さはゼロ。
でも、なぜか満足感は高め。

これが、
私の日常です。

このブログでは、
こういう
“なんでもない日の、なんでもない違和感”
を大事にしていきます。

派手な正解は出しません。
押しつけもしません。

ただ、
「へぇ、そんな見方もあるんだ」
と思ってもらえたら嬉しいです。

それが、
私の発信です。