カテゴリー: 暮らしとからだ

  • 舌炎が教えてくれた、健康のありがたさ

    お正月。
    ごちそうもある、時間もある。
    なのに、舌が痛い。

    食べるたびに違和感があって、
    味わうことができない。

    たったそれだけで、
    日常はこんなにも色を失うのかと驚いた。

    私たちは普段、
    噛むことも、飲み込むことも、
    味を感じることも、
    何の努力もなく受け取っている。

    でもそれは
    当たり前ではなかった。

    小さな舌炎が、
    「健康は、静かに支えてくれている存在」
    だと教えてくれた。

    今年は、何かを増やすより先に、
    今ある身体に感謝したい。

    新年2日目、
    舌からのメッセージ。

    ありがとう。
    そして、早く治ってください🤭

  • 新年のごあいさつ

    あけましておめでとうございます。
    今年もどうぞよろしくお願いいたします。

    昨年は、仕事のことなど色々ありましたが、
    年の終わりにブログを始めたことは、
    私にとって大きな転機でした。

    特別なことを書いているわけではなく、
    キラキラした暮らしでもありません。
    それでも、日々の中で感じたことや、
    「これ、いいな」と思ったことを
    こうして言葉にできる場所ができたことは、
    思っていた以上に大きな出来事でした。

    新しい年も、
    背伸びはせず、無理はせず、
    暮らしの中の小さな気づきを
    ぽつぽつと書いていけたらと思っています。

    たまたま立ち寄ってくださった方も、
    いつも読んでくださっている方も、
    ありがとうございます。

    日々を大切に、つつがなく。
    それが今年いちばんの願いです。


  • 1年の終わりに、静かな転機がありました。

    今年もいよいよ大晦日。
    一年を振り返ると、
    「反省点は?」
    「来年の目標は?」
    と聞かれそうですが、今日は答えません。

    なぜなら、
    それどころではなかったからです。

    仕事は色々ありました。
    本当に色々です。
    詳しく書くと年を越せなくなりそうなので、
    ここでは「色々」でまとめておきます。

    そんな一年の終わりに、
    なぜか私はブログを始めました。

    もっと余裕がある人がやるものだと思っていましたし、
    もっとキラキラした人が書くものだとも思っていました。
    でも、始めたのは
    ごく普通の、ちょっと疲れた50代の私でした。

    書いてみて分かったことがあります。
    読まれるかどうかより、
    うまく書けたかどうかより、
    「今日も書いた」という事実が、
    思った以上に自分を支えてくれました。

    今年は、
    何かを大きく成し遂げたわけでもなく、
    劇的に変わったわけでもありません。
    ただ、
    年の最後の方で「書く自分」が登場しました。

    これは、私にとって
    かなり大きな転機です。

    来年はどうなるのか、
    正直よく分かりません。
    でも、
    とりあえず書き続けてみようと思います。

    大晦日なので、
    立派なまとめはしません。
    静かに、でも確かに、
    次の一年につながる一歩を置いておきます。

    それでは皆さま、
    よいお年を。
    私は明日も、
    しれっと書く予定です🤭

  • 小学生の頃から、憧れていた家具

    もう時代の流れなのか、 「北海道民芸家具」は、
    以前より目にするアイテムが少なくなりました。
    少し、寂しいことです。

    私がこの家具に惹かれたのは、 ずっとずっと昔。
    小学生の頃からデパートで見かけて以来、
    「いつか欲しい」と思っていたものでした。

    流行でも、憧れのブランドでもなく、
    なぜか心に残っていた家具。
    大人になってから迎え入れ、 気がつけば、
    もう30年近く一緒に暮らしています。

    傷も、艶も、引き出しの重みも、
    すべてが時間の記憶。

    新しいものの方が便利なはずなのに、
    手を置くたびに、
    「これでよかった」と思わせてくれます。

    モノが溢れる時代だからこそ、
    こうして静かに役目を果たし続ける家具が、
    少しずつ姿を消していくのは、
    やはり寂しいものですね。

    それでも、 変わらずここにあるこの家具は、
    私にとって 「買ったモノ」ではなく、
    「一緒に時間を重ねてきた存在」
    なのだと思います。

  • アクセサリーを持たない私が使っているもの

    アクセサリーは、ほとんど持っていません。
    普段づかいの指輪も、重ねづけのネックレスもありません。

    冠婚葬祭用のパールと、
    それからもうひとつ。

    20年ほど前に「一生モノ」と思って買った、ロレックスです🤭

    若い頃の私は、今よりもう少し気負っていて、
    「ちゃんとした大人になりたい」と思っていました。
    その気持ちの延長線上で、背伸びするように選んだ時計でした。

    高いか安いか、価値が上がるか下がるか。
    正直、そんなことはよく分かっていませんでした。
    ただ、「これは長く使える気がする」
    それだけで、決めたように思います。

    気づけば20年。
    流行も、生活も、考え方も変わりました。
    物欲はずいぶん減り、
    新しいものを欲しいと思う気持ちも、静かになりました。

    でもこの時計だけは、
    いつの間にか“特別”でもなく、
    かといって“当たり前”でもない存在になっていました。

    時間を見るたび、
    若かった頃の自分と、今の自分が、
    同じ場所に立っているような気がします。

    一生モノというのは、
    買った瞬間に決まるものではなく、
    使い続けた時間が、あとから証明してくれるものなのかもしれません🤭

    物をたくさん持たなくなった今、
    それでも手元に残っているものには、
    それなりの理由があるのだと思います。

    今日も私は、
    この時計で時間を確かめながら、
    いつもの暮らしを続けています🤭

  • アクセサリーのお世話ができないので、パール一本です。

    アクセサリーのお世話ができません。
    できないものは、持たない主義です。

    外して拭いて、
    絡まないようにしまって、
    次に使うまで無事であるかを気にする。
    ——その一連が、どうにも向いていません。

    というわけで、
    私が持っているアクセサリーは
    冠婚葬祭用のパールのネックレス、ただ一本。

    出番は少ないです。
    ほとんど、箱の中で静かにしています。
    でも、いざというときは
    「私が行きますけど?」
    という顔で、きちんと仕事をする。

    普段の暮らしでは、
    キラキラで盛るより、
    服をちゃんと着て、
    顔を洗って、
    手元を清潔にしておけば十分。

    アクセサリーがなくても、
    生活は回ります。
    気分も、意外と上がります。

    たくさん持って、
    管理に追われるより、
    迷わない一本。

    パールは、
    「必要なときだけ出てくる人」
    くらいが、ちょうどいいのです。

  • 物欲がなくなった理由。

    〜いま存在するモノは、いずれゴミになると思えたから〜

    最近、あまり「欲しい」と思わなくなりました。
    洋服も、雑貨も、新しい便利グッズも。

    理由はシンプルです。
    いま目の前にあるモノが、数年後にはゴミになる姿を想像できるようになったから。

    買う瞬間は、たいてい気分がいいものです。
    きれいで、便利そうで、今の生活を少し良くしてくれそうで。
    でもその先を考えるようになりました。

    ・壊れたらどう処分する?
    ・素材は何?
    ・分別は簡単?
    ・これは誰かに譲れる?

    そんなことを考えているうちに、
    「今は欲しいけど、未来の自分が困りそうだな」
    と思うモノが、驚くほど多いことに気づきました。

    若い頃は、
    持っていること=豊かさ
    だった気がします。

    でも今は、
    手放さなくていい暮らしこそ、いちばんの贅沢
    だと思うようになりました。

    とはいえ、何も買わないわけではありません。
    本当に必要なモノは、ちゃんと選びます。

    ・長く使えるか
    ・体や環境にやさしいか
    ・「処分する日」を想像しても納得できるか

    この基準を通過したモノだけ、家に迎えています。

    物欲がないのは、我慢しているからではなく、
    選ぶ目が、少し育っただけ。

    そんなふうに思っています。

    物欲はなくなりました。
    ただし、
    人生の在庫は、まだまだ豊富です🤭


  • わたしにとっての、食糧危機

    最近よく聞く「食糧危機」。
    ニュースでは世界規模の話をしていますが、
    私の食糧危機は、もっと静かで地味です。

    スーパーには、普通に物が並んでいます。
    棚もスカスカじゃない。
    欠品もほぼない。

    なのに私は、
    カゴを持ってウロウロしています。

    原材料を見る。
    裏をひっくり返す。
    一度入れる。
    ……戻す。

    この一連の動作、
    たぶん怪しい客です😆

    値段が高いから買えないわけじゃない。
    選択肢がないわけでもない。

    ただ、
    安心して食べたいと思えるものが、減った。

    昔は何も考えずに買っていたものを、
    今は一度立ち止まって考えてしまう。

    前は平気だったつもりでしたが、
    小学生の頃からしっかり不安でした。
    気のせいではなく、筋金入りです。

    便利で、安くて、長持ちする。
    その裏側を知ってしまったので。

    食べるものがないわけじゃありません。
    でも、
    迷わずカゴに入れられるものが少ない。

    これが、
    私にとっての「食糧危機」です。

    だから最近の食事は、
    地味です。
    質素です。
    映えません。

    でも、
    誰が作ったか分かるもの。
    何が入っているか想像できるもの。

    それだけで、
    今日は大丈夫と思えます。

    不安になりたいわけじゃない。
    意識高い人になりたいわけでもない。

    ただ、
    自分の体に入るものくらいは、
    ちゃんと選びたいだけ。

    スーパーで立ち止まる私も、
    カゴに何も増えない日も、
    たぶん間違っていない。

    今日も、
    怪しい動きで買い物しています😆

  • モノを減らしたい。でも今日は引き出しを閉めた。

    物欲は、昔よりかなり落ち着きました。
    「これ欲しい!」と即ポチすることも、ほぼありません。
    ……ありませんが、
    家の中を見ると、モノは普通に多いです(笑)

    減らしたい気持ちは、ちゃんとあります。
    ミニマリストに憧れたこともあります。
    YouTubeも何本か見ました。
    そして、そっと閉じました😆

    一気に捨てるのは無理。
    勢いでやると、あとで後悔するタイプです。
    なので私は、
    「今日はここだけ」
    「今日は引き出し一段」
    ……のはずが、
    開けて、眺めて、閉める日もあります。

    でも最近、ひとつだけ変わったことがあります。
    新しいものを、ほとんど家に入れなくなりました。

    増えなければ、減らなくても、
    なぜか気持ちは少し軽い。
    この感覚、ちょっと不思議です。

    使っていないもの、
    見るたびに気分が下がるもの、
    存在を忘れていたもの。

    そのどれかに当てはまったら、
    「今までありがとう」と心の中で言って、手放す。
    ……と言いつつ、今日は保留😆
    明日の私に任せます。

    部屋はまだ理想とはほど遠いけれど、
    前よりは、自分に合ってきました。

    モノを減らしたいという気持ちは、
    暮らしを丁寧にしたいという気持ちと、
    たぶん同じ方向を向いています。

    急がず、無理せず、
    引き出しは、また明日。

  • 美しい道具は、台所の空気を整える

    我が家のお鍋は、クリステル
    もう 20年近く使っています

    選んだ理由は、
    機能性だけではありません。
    とにかく、デザインが美しい

    側面がすっと立ち上がった、
    主張しすぎない佇まい。
    コンロに出しっぱなしでも、
    台所の景色を壊さない。

    この「静かな美しさ」に
    初めて気づかせてくれたのが、
    有元葉子さんでした。

    私は20歳の頃から、
    有元葉子さんのファンです。
    料理本は100冊以上持っています。
    料理というより、
    芸術作品の写真集のように眺めてきました

    有元さんの台所にある道具は、
    いつも凛としていて、
    でも決して気取っていない。
    「使われること」を前提にした美しさ。

    クリステルのお鍋は、
    まさにその世界観そのものだと思っています。

    正直に言うと、
    私は料理を作ることは好きですが、
    パパッと手際よくできません(笑)

    それでもこのお鍋があると、
    ただ切って、入れて、火にかけるだけで、
    ちゃんと料理になる。

    見た目が美しいと、
    台所に立つハードルが下がる。
    「ちゃんとしなきゃ」ではなく、
    「今日もこれでいいか」と思える。

    テフロンのように
    消耗を前提にしない。
    鉄鍋ほど
    技術を求められすぎない。

    静かで、丈夫で、長く使える。
    そして、
    使うたびに気分が整うデザイン

    若い頃は
    「有元葉子さんみたいな暮らし」への憧れでした。
    今は、
    その影響を受けながら
    自分なりの台所を続けている感覚です。

    道具は、
    料理の腕を上げるためだけのものではなく、
    暮らしの姿勢を映すもの。

    このお鍋は、
    20代の憧れと、
    今の自分の現実を、
    ちょうどいいところでつないでくれています。

    私が日常的に使っているものは、
    楽天ROOMにまとめています。
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