カテゴリー: 気になること(矛盾・違和感)

  • 年齢は止められない。でも表情は選べる

    友達に会った時のこと。

    何度も何度も
    「歳をとりたくないなぁ…」とつぶやいていました。

    その気持ち、分からなくはないです。
    私だって、できることなら若いままでいたい。

    シワも、たるみも、体力の変化も、
    正直うれしいものではありませんよね。

    でもふと、思ったんです。

    歳を重ねることって、
    本当に“マイナス”だけなのかなと。

    毎日、心臓が鼓動して、
    呼吸ができて、
    見たい景色を見られて、
    こうして元気に生きている。

    それって当たり前のようで、
    本当はすごくありがたいことだなと感じました。

    年齢を重ねても、
    変わらず活躍されている方を見ると、
    希望ももらえます。

    例えば、
    伊藤蘭さんや、
    松任谷由実さん。

    70歳を超えてもなお、
    自分らしく輝き続けている姿は本当に素敵で、
    「歳をとるのも悪くないかも」と思わせてくれます。

    そしてもうひとつ、
    今日あらためて感じたことがあります。

    それは、
    日々の表情の大切さ

    笑う人には笑いジワができ、
    怒る人には険しいシワが刻まれる。

    どんな表情で毎日を過ごしているかは、
    年齢以上に顔に出る気がします。

    同じ歳を重ねるなら、
    不満顔より、穏やかな顔でいたい。

    鏡を見るたびに、
    「いい顔してるな」と思える自分でいたい。

    若さにしがみつくより、
    今の自分を大切にしながら、
    これからの時間をどう生きるか。

    日々を大切に、
    悔いのないように、
    やりたいことはやっていきたい。

    そんなふうに思えた一日でした。

  • 10年使った化粧品と、進化する美容の世界|50代の気づき

    昨日、反動期の話を書きましたが――
    今日はその続きです。

    10年使っていた化粧品があります。

    対面で出会い、
    安心感があり、
    肌トラブルもなく、
    ずっと当たり前に使ってきました。

    いわゆる
    「変わらない安心」

    それが魅力のブランドでした。

    後から知ったのですが、
    その化粧品は発売から40年超え。

    処方も大きくは変わっていないそうです。

    40年。

    すごいことですよね。

    長く愛され、
    大きなトラブルもなく、
    信頼され続けてきた証。

    私の肌も確かに守られてきました。

    でも――

    ラインを見直し、
    外の化粧品を見たとき、
    正直驚きました。

    美容液ひとつでも

    リポソーム
    ナノ化
    浸透カプセル
    シワ改善有効成分

    知らない言葉ばかり。

    「え?
    化粧品ってここまで進化してたの?」

    まさに浦島太郎状態(笑)

    40年前の処方が悪いのではなく、
    それは

    “守る美容”

    今の化粧品は

    “攻める美容”

    役割が違うんですね。

    そしてもうひとつ、
    見直すきっかけがありました。

    容器問題です。

    リフィルがなく、
    立派なボトルを
    使い終わるたび処分。

    空容器を捨てるたび、
    少しモヤッとしていました。

    肌のために使っているのに、
    地球には優しくない。

    この違和感も、
    外を見るきっかけに。

    今は

    リフィル対応
    環境配慮容器
    成分開示

    中身も外側も進化していました。

    10年守られてきた肌。

    だからこそ今、
    新しい技術にワクワクしています。

    美容は義務ではなく、
    楽しみへ。

    40年の安心も知り、
    進化の世界も知った今。

    これからは

    「自分に合う進化」

    を選んでいきたいと思います。

  • 癒されに行ったはずの日に、切なくなった話

    美顔に通っていた頃のことを、ふと思い出しました。

    施術をしてくれる方が、毎回のように
    親の介護の話をされていたんです。

    認知症で大変で…
    何度言っても分からなくて…
    もう本当にしんどくて…

    その大変さは、想像できます。
    介護がどれだけ心身を削るかも、分かる気がします。

    でも、私はその時間、
    少し癒されたくて行っていました。

    日常から離れて、
    ほっとしたくて、
    気持ちをゆるめたくて。

    だから正直、
    毎回その話を聞くのが、少ししんどかったんです。

    そして同時に、
    別の感情も湧いてきました。

    認知症でも、
    きっと感情は残っていると思うんですよね。

    言葉の意味が曖昧でも、
    声のトーンや空気は伝わる。

    もし自分が、
    誰かに介護される立場になった時、

    外で
    「あの人が大変で」
    「もう限界で」
    と話されていたら…

    やっぱり切ない。

    人は誰でも、
    いつか弱る日が来るかもしれない。

    誰かの手を借りないと
    暮らせない日が来るかもしれない。

    だからこそ、

    大変さを吐き出す場所と、
    相手は大事なんだなと感じました。

    美顔の時間は、
    外見だけじゃなく、
    心も整えに行く場所。

    だから私は、

    癒されに来ている人には
    重たい現実を背負わせない人でいたいな、と。

    そんなことを思い出した夜でした🌙

  • 日曜の夕方に胸が苦しくなる理由、だいたい“考えすぎ”説

    日曜の夕方。
    特に何かあったわけじゃないのに、
    仕事のことを考えると胸が苦しくなること、ありませんか。

    私はあります😆
    昨日もありました。

    ・現実はちゃんとある
    ・仕事も立て込んでいる
    ・周りの状況も気になる

    でも、よくよく考えたら
    私の責任じゃないことまで、先に背負っていました。

    ・頼まれていない仕事
    ・まだ決まっていない未来
    ・管理する立場でもないこと

    それ全部を
    「私が何とかしなきゃ」と考えていたから、
    日曜の夕方がしんどかっただけ。

    考えすぎていただけでした。
    責任感がある証拠ですね😆

    でも、
    責任があるかどうかは別の話。

    今日はお茶を飲んで、
    「それ、私の仕事じゃなかった」と
    そっと思うことにしました🍵

  • 夜のスーパーで、食べ物の向こう側を考えた

    夜のスーパーに行った。
    お魚も、お弁当も、パンも、たくさん残っていた。

    お魚を見ると、
    海に出た漁師さんのことや、
    それをさばいてパックにした人の手を、
    つい想像してしまう。

    お弁当も、パンも、
    「商品」になるまでに、
    いくつもの時間と人の手が重なっている。

    だから、
    残っているのを見ると、
    ただ「もったいない」だけじゃなくて、
    胸の奥がきゅっとなる。

    全部を救うことはできないし、
    正解があるわけでもない。
    でも、せめて自分が選んで買ったものだけは、
    無駄にしないで、
    ちゃんと味わって食べたいと思った。

    フードロスって、
    ニュースや数字で見るよりも、
    こうして目の前で見る方が、ずっとこたえる。

    誰かの手間や時間、
    そして「命」に近いものが、
    静かに並んでいる感じがして。

    何か正解があるわけじゃない。
    今日、私にできたのは
    「心配になった」という気持ちを、
    ちゃんと感じたことだけ。

    それだけでも、
    無かったことにしない夜にしたかった。

  • 季節を、味わいたいと思うようになった

    職場で、まいにち朝から「寒かったね」と言われ、その返事をすることに、
    少しうんざりするようになった。
    事実ではあるけれど、もう身体は十分に知っている。

    寒さは、言葉にしなくても伝わってくる。
    出勤したときの空気や、
    給湯室でお湯を注いだときの湯気、
    無意識にマグカップを両手で包む仕草。
    そこに、ちゃんと季節がある。

    だから最近は、
    寒いね、と確認し合うよりも、
    一口目の飲み物をゆっくり味わう方がいいと思うようになった。

    季節は、話題にするものじゃなくて、
    暮らしの中で静かに受け取るもの。
    職場にいても、そんなふうに感じられる余白を
    大事にしたいと思っている。

  • 職場のゴミ箱を見て思うこと

    職場のゴミ箱を見ると、
    その場所の空気がわかる気がします。

    若い人が多い職場だからか、
    最近はカップ麺の容器が目立ちます。

    忙しいのもわかるし、
    手軽なのもわかる。
    カップ麺が悪いと言いたいわけではありません。

    ただ、50代になった今、
    ゴミ箱の中身を見ていると
    「その選択が続いた先」を
    つい想像してしまうのです。

    体のことだったり、
    気力のことだったり、
    余裕のなさだったり。

    ゴミ箱って、
    その人の生活や、
    職場全体の余白が
    静かに表れる場所なのかもしれません。

    私自身も、
    昔は気にしたことなんてありませんでした。

    でも今は、
    おにぎり一つでも持って行こうとか、
    せめて温かい汁物を添えようとか、
    そんなことを考えるようになりました。

    正解を押しつけたいわけでも、
    誰かを否定したいわけでもありません。

    ただ、
    こんなふうに考えながら
    毎日を過ごしている人もいる。

    今日は、
    職場のゴミ箱を見て、
    そんなことを思いました。

  • 私はずっと、物事の違和感を感じる子どもだった

    小学3年生の頃、
    私はすでに「みんなが気にしないこと」を気にしていました。

    お菓子の裏に書いてある
    合成着色料、合成保存料。

    誰も見ていないその表示を、
    なぜか私は、じっと見ていたのです。

    ある日、先生が
    クラスのお楽しみ会で私が食べていた
    黒いコーラ味のガムを見て、黒板にこう書きました。

    「合成着色料」

    その瞬間、私の中で何かがピンときました。

    「これって、本当に大丈夫なんだろうか?」

    ——たぶん、その時からです。
    私は “見えないところにある違和感” に反応する人間 になりました。

    大人になってから気づいたのですが、
    食品表示は年々、わかりにくくなっています。

    ・「合成」が外れた表記
    ・「国内製造」という安心そうな言葉
    ・スラッシュの後ろに並ぶ原材料
    ・カラメル色素Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳの違い

    気づかない人は、
    一生気づかないままかもしれません。

    でも私は、
    子どもの頃に張られたアンテナが、
    ずっと消えませんでした。

    20代の頃、
    使い捨ての大きなポリ容器を見て、
    ふと、こんなことを考えていました。

    「これを燃やしたら、どうなるんだろう?」
    短大の卒論は環境問題を書きました。

    最近は、白髪染めもヘナに切り替えました。
    「きれいになるかどうか」よりも、
    使ったあと、その排水が
    自然にどう影響するのか。

    そんな視点で、
    食べものや日用品を選ぶようになりました。

    正直、
    家族からは「変わり者」です(笑)

    でも最近、
    はっきりとわかったことがあります。

    私は変わり者なのではなく、
    ただ、人より少し早く気づく人だった だけ。

    誰かが「なんとなく」選んでいるものを、
    私はずっと
    「これって本当に大丈夫?」と見てきただけなのです。

    だから今、
    健康・美容・暮らし・環境を
    “クセ強だけど上品に” 選ぶ発信をしています。

    派手なことは言わない。
    不安も、恐怖も、煽らない。

    ただ、
    小さな違和感を見過ごさず、
    本質を選び続けるという姿勢を大切にしたい。

    これが、
    私がこの発信を続けていきたい理由です。